日本のクラシック・ファンには、オーストラリアには「クラシック音楽」や「室内管弦楽団」のイメージがあまりない、と思っている人も多いようなのですが、これについて後藤さんはどうお考えですか。
オーストラリアと言えば、まず、カンガルー、コアラ、エアーズロック、グレートバリアリーフ・・・と豊かな自然や、スポーツが盛んな様子が思い浮かぶでしょうか。
「オーストラリアのクラシック音楽」と聞いて、シドニーのオペラハウスを思う方もあるかも知れません。「クラシック通」のみなさまの中には、ここ数年で盛り上がりを見せてきた「オーストラリアのクラシック音楽」に思い当たる方もあると思います。そうは言っても、欧米に比べると、まだまだ印象は薄いでしょうね。
何年か前に、日本でお目にかかった弦楽奏者は「え?オーストリアではなくて?オーストラリアでチェンバーオーケストラ??」と首を傾げておられました。その方はオーストリア人でしたが(笑)。そのような認識は、まだまだあるかも知れません。
ACOに入団される前、ACOやオーストラリアのクラシック界の印象はどんなものでしたか。
ACOに入団したのは1998年のことですが、それ以前は、実はACOの印象は薄かったんです。
入団前には、7年間ニューヨークに住んでおりました。ACOのオーディションを知り、第一次審査のテープをオーストラリアに送ったところ、審査に通り、FAXでお知らせが来ました。ACOが半年後にニューヨークでコンサートを行なうので、その時にライブ・オーディションを行う、というものです。当時はまだインターネットもままならず、今ほど気軽に検索して視聴できる時代ではなかったので、ACOがどんな演奏をするのか知らないまま、オーディションの前夜、カーネギーホールでのコンサートに足を運びました。
ACOは本当に素晴らしかったです!今でも彼らがなんのプログラムでどう演奏したか覚えています。音が出た瞬間から惹きつけられて、目から鱗が落ちました。心を動かされ、涙が自然に出てきました。 ACOの紡ぐ音は、温かくてさまざまな音色に満ちた、フレンドリーで躍動感のある音楽でした。
その翌日に、オーディションだったのですね。そのあと、1998年にオーストラリアにいらしたわけですが、その当時の印象はいかがでしたか。
1998年、初めて足を踏み入れるオーストラリアでした。スピード感に溢れ刺激的な街のニューヨークから一転して、時間の流れが穏やかで、人懐こく、住む人は自然をまず大切に生活している印象でした。空気が清涼で、人々が自然の中に住まわせてもらっているような、自然ありきの暮らしです。
あれから四半世紀近く経ちましたが、ここ10年くらいで、シドニーの印象は少し変わりました。人口が増え、交通量も増え、都会になりましたね。
そうですね。ここ数年で、急速に都会になったと言えるでしょうか。初めていらしたときは、シドニーでの生活は予想と異なりましたか。
期待はあまり持たずにオーストラリアの地に足を踏み入れたので、すべてを受け入れる事ができたように思います。当時、ACOのメンバーから、温かい至れり尽くせりの歓迎を受けました。おかげですぐに馴染めました。
実は初めは、何も知らない土地の様子をちょっと見るだけのつもりで、短期滞在の予定でした。予想外の展開となったのは、ACOリーダーのリチャード・トネッティ(以下リチャード)とメンバー達が作り上げている音楽に魅了されたからでしょうね。気がつけば、一緒にオーストラリア国内を定期公演で周り、欧米を隔年ごとに旅し、その合間にアジア・日本でも公演し・・・何年も経ってしまいました。ACOに惹かれ続けて、今日に至ります。
「聴く人と演奏する人が一体となり、まとまってくるのが体感できる。
これがACOの特徴だと思います。」
なるほど。大番狂わせだったのですね。そんな魅力に溢れるACOのリハーサルの様子や「日常」の雰囲気について、教えてください。
リハーサルでは、基本的にはリチャード主導ですが、メンバーみんなで意見を出し合って、全員で音楽を作り上げています。リチャードはやはり、ユニークな芸術家で、音楽的アイデアに溢れ、追求するものが並ではありません。しかし、彼は誰よりも「メンバーあってのACO」であることを深く理解しています。
ACOは、シリーズごとに同じプログラムを持って、8回から12回のコンサートでオーストラリアを巡業します。各コンサートの前には、必ず30分から1時間の舞台リハーサルがあります。そこでは、前夜のコンサートの反省や改善案をメンバーみんなでどんどん出していきます。そうして公演ごとに変化し、よりよい音楽を目指せるのがとても楽しい。毎回のコンサートでは、お客さまとの雰囲気も大切にし、お客さまが感じていることを悟り、その雰囲気と私たちの音楽で対話をします。こうして回を重ねた演奏の最終公演の時には、聴く人と演奏する人が一体となり、まとまってくるのが体感できる。これがACOの特徴だと思います。
メンバーのみなさんは、仲の良さそうな印象ですが、メンバー同士のコミュニケーションはどんな様子でしょうか。
メンバーの出自は、まことに多様です。それぞれ個性的ですが、それは個人の背景や歴史が、それぞれ異なるから。みなうんと違うのに、ともに同じ音楽を作り上げようとする意識もまた強いです。
一方で、ツアーとコンサートの回数が多く、一緒にいる時間が長いので、メンバー同士は家族のようです。コロナ禍では、故郷に帰れなかったメンバーも多く、お互い頻繁に連絡を取り合ったり、励ましあったりしていました。
どのメンバーも、音楽に真摯に向き合い、お互いに高め合いながら、一人一人がとても努力家です。私も年々歳上になってきていますが、若いメンバーから学ぶこともたくさんあります。
後藤さんは、世界各地で活躍中の音楽家で構成される「サイトウ・キネン・オーケストラ」のメンバーでもありますね。「サイトウ・キネン・オーケストラ」でのご経験やACOとの比較について、お聞かせください。
サイトウ・キネン・オーケストラには、小澤征爾音楽総監督を筆頭に世界的な芸術家が集まっています。そんな素晴らしいメンバーと一緒に演奏するのは、もちろん楽しいのですが、気を一瞬たりとも緩められない感じで、刺激と緊張感に満ちています。やはり小澤先生の魂を持っているミュージシャンが集まっているので、特別ですね。毎年参加する度に学ばせてもらうことが多く、いつも次への課題をいただいて帰ってくるのですが、受ける刺激と影響は計り知れず、ACOに戻ってくるといつも「顔つきや雰囲気が変わったね」とメンバーに指摘されるほどです。
サイトウキネンとACOはとても違うスタイルで、サイトウキネンは1年に1度の「祭典」ですから、編成も規模も大きく、演奏する曲も異なり、ACOと比べることはできませんが、2つのオーケストラでの経験は、間違いなく私自身を磨く宝物となっています。
過去20年間で、イギリス、ヨーロッパ、アメリカでのACOの人気はうなぎ登りに、評価も劇的に高まりましたね。
お陰さまで、ヨーロッパでのコンサートは、いつもチケット発売日から2日間で完売になります。アメリカも主要都市はほぼ満席になります。ACOは、コロナ禍の数年を除き、これまで毎年海外公演を行い、毎年か隔年か、同じホールに戻って演奏をしてきました。各地のマネージメントの宣伝が卓越していることもありますが、良い演奏会をすると、聴いて下さるお客さまが必ず憶えていて下さり、再訪するたびに温かく迎え入れて下さるのが感じられ、とてもありがたく嬉しいです。そんなお客さまのコンサート・ホールでの雰囲気は、一音も逃さないという真剣な様子で、いつも気が引き締まる思いでステージに立ちます。
オーストラリア、ヨーロッパ、北アメリカや日本、と様々な国で公演されてきましたが、土地によって反応に違いがありますか。
ヨーロッパでは、各国それぞれの雰囲気は異なりますが、一般的には、まずお客さまの期待度の高さ。そして、ホールでは、聴衆からのピンと張りつめた雰囲気、全身が耳になったかのような、こちらの魂が吸い取られてしまいそうなほどの集中力に特徴があると思います。
アメリカでは、聴いてくださっている方々の雰囲気が、もう少し分かりやすいと言いますか、大いに喜んでおられる様子は、こちらにもすぐに伝わってきますよね。演奏終了後は客席からの興奮、そしてスタンディングオベーションには、時に圧倒され、わたしたちも興奮します。
日本では、お客さまは静かに礼儀正しく聴いて下さいます。とても真剣にACOの音楽を受け止めてくださり、控えめながらも、鳴りやまない拍手に喜びが感じられ、感謝しています。
オーストラリアの雰囲気は、カジュアルですね。ホーム・グラウンドということもありますが、強く感じることは、どこの街でも、「待っていました!」「お帰りなさい!」とばかりに歓迎してくださり、お客さまがコンサートの幕を開けてくれるんです。とくに田舎の町、小さい町では他では経験できない感動を共有することもあります。コロナ禍では、ロックダウンの合間にニューサウスウェールズ州北西の町ダンゴッグに行きました。端から端まで歩いても10分もないような小さい町で、オーストラリアで最も古いと言われるシアターがあるところですが、聴いて下さっている方々の熱量がすごかった。リチャードの表情が輝き、メンバーも熱くなって、まさにコロナ禍の苦しいときに「お客さまに助けられた」と実感できた公演でした。
こういった地方公演は、最近では、ACOの養成プログラムのメンバーで編成される「ACOコレクティヴ」に任されています。ACOの公演スケジュールが忙しくなってしまったからですが。
どこでも、お客さまの雰囲気から生まれる音楽があります。ACOはお客さまとの、音楽の対話を常に大切にしながらコンサートを行なっています。演奏者と聴衆の音楽への集中力が高まり、一体となった時の感動は、一言では表現できません。心と体に響いてきます。
コロナ禍でしみじみ感じたことは、音楽家はコンサートで鍛えられ、成長するのだという原初的なことですね。
後藤さんは、毎年全豪からの子どもたちを集めて「ACOアカデミー」を開き、指導されていると聞きました。ACOでの若者の育成について、お聞かせください。
ACOアカデミーは、中高生を対象とした弦楽アンサンブルの集中講習会で、毎年7月の冬休み中に行われます。オーストラリア国内の、ビデオ審査で選抜された学生さんが参加します。
講習会の期間中、室内楽のグループや弦楽アンサンブルで練習を重ねます。室内楽グループではACOメンバーがそれぞれ指導にあたり、小さなコンサートを行っています。弦楽アンサンブルは、最終日に一般公開のコンサートがあります。
中高生の年代は、とても繊細で、何でも吸収できて、無限大のエネルギーを秘めている ― 大切で、特別な年頃だと思います。その彼らが、将来楽器を離れても、このACOアカデミーで何かを感じて、共にリハーサルや演奏会に集中して挑んだことが、何らかの形で将来の力になってくれるといいな・・・と願っています。
かけがえのない経験でしょうね!聴いてみたくなりました。後藤さんは、この弦楽アンサンブルを指揮されていると聞きましたが。
そうですね。基本的にはACOのスタイルで、弾き振り(演奏しながらリード)しています。弦楽合奏に入って一緒に弾くので、指揮はありません。
最終日のコンサートに向けて、ACOメンバーとチームワークで指導にあたるのですが、中高生たちは本当に素晴らしいですよ。私たちが100%以上の音楽づくりのエネルギーを真正面からぶつけると、必ず応えてくれて、本番では輝かんばかりの演奏をしてくれます。
参加する中高生は、将来はプロになるような腕前でしょうか。
来た時点では、まだ音楽のプロの道に進むと決めていない子もたくさんいますし、アカデミーに来てから目覚めて、音楽の道に進む子もいて、様々です。でも、これは先ほどの繰り返しになりますが、将来どのような道に進むことになっても、真摯に音楽に向き合い、コンサート上演に向けてまっしぐらに素晴らしく協働できる機会を、同年代の若者と分かち合える5日間は、特別で大きな経験だと思います。私もACOの仲間たちも、講習会の期間中は気を張って臨むのですが、毎年楽しみながら、高揚感を共有し、参加者とともに学んでいます。
これは私の夢なのですが、将来、日本で音楽を勉強されている中高生のみなさんとACOアカデミーの合同で、リハーサルやコンサートをしたいんです。そんな交流の機会が持てたら最高ですね。
なるほど。これからACOは、定期的な日本公演も視野に入れているということですが、日本のクラシック・ファンに向けて、ひとことお願いします。
ACOメンバーには、日本ツアーの思い出はいつもよいものばかりです。これは、いつも日本の皆様に温かく歓迎していただいているおかげです。本当にありがとうございます!
10月10日の日本公演を、今からメンバーみんなで楽しみにしています。以前より楽団が贔屓にさせていただいている「紀尾井ホール」での演奏も久しぶりです。プログラムは、楽団の魅力や特色が引き立つ「これぞACO」といった演目をご用意しました。観ても聴いてもお楽しみいただけると自負しております。
リチャードをはじめメンバー全員、東京でお目にかかれるのを楽しみにしています。